太平洋戦争日本敗戦の近い昭和二十年初夏の頃、音楽学校出身の若い二人のパイロットが特攻出撃の前日、ピアノを弾かせてほしいとお願いし「月光の曲」を弾き終えたのです。集まっていた先生と子供達は「海ゆかば」を合唱し名残惜しそうに航空基地に帰る二人を見送りました。それは、人生最後の演奏でした。そのピアノは二台しかないドイツ製フッペルのピアノだったのです。このエピソードに感動された先生達は長年愛用されたフッペルのピアノを御魂を慰めてやりたいと寄贈されたそうです。学問も芸術も捨てた若いパイロットの悲しく辛いお話です。私は、ピアノの前で色々な事を考えさせられました。知覧の平和観音特効基地で祈りを捧げました。